2014年11月14日金曜日

My Recommendations No.32,33,34 「日本史の謎は『地形』で解ける」

口腔外科学分野教授の宮本洋二先生が図書を3冊ご推薦くださりました。
宮本先生,ありがとうございました。

ご推薦くださったのは,以下の「日本史の謎は『地形』で解ける」シリーズ(竹村 公太郎著 / PHP研究所)です。

・「日本史の謎は『地形』で解ける」(2013年)
・ 「日本史の謎は『地形』で解ける<文明・文化篇>」(2014年)
・ 「日本史の謎は『地形』で解ける<環境・民族篇>」(2014年)
 
まずは 「日本史の謎は『地形』で解ける<環境・民族篇>」が入荷できたので,一足先に展示を始めています。


さて,ここで,シリーズ第一作「日本史の謎は『地形』で解ける」(2013年)について宮本先生が書いてくださった書評をご紹介します。

 私は歴史が好きで、NHKの「歴史秘話ヒストリア」や大河ドラマは欠かさず録画して見ています。当然、歴史小説や読み物も好きです。なぜ歴史が好きかと問われると困るのですが、歴史上の人物が、時代の流れや人間同士の葛藤の中で、どのように頭を使って困難を乗り越えたり、はたまた失敗したのかを知ることが面白いのだと思います。たとえば、なぜ源頼朝は幕府を京都ではなく鎌倉においたのか、なぜ明智光秀は織田信長に謀反を起こしたのか、なぜ織田信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしたのか? 一般には、信長は仏道から外れた僧侶たちの所行に我慢ならなかったとか、僧侶たちが浅井家に加担していたためとか、キリスト教の擁護と寺社の商業利権を奪取するためとかの理由が挙げられています。これらの理由は、いずれも人文社会学的な考察です。すなわち、人間関係や宗教、経済的・軍事的な損得で歴史が動いているという考えです。私もこの本を読むまでは、その通りだと思っていました。ところが、本書は人文社会分野からいったん離れて、地理や気象、インフラから歴史の謎を推理小説のように解き明かしています。
 本書では18の謎解きをしています。源頼朝はなぜ鎌倉に幕府を開いたのか? 前の権力者である平家が京都の朝廷や公家と癒着して堕落したのを見て京都から離れたかったとか、平家の残党に対して鎌倉で守りを固める必要があったとかが一般的な説明でした。しかし、当時の日本の中心は何と言っても京都であり、日本を統治するには鎌倉はあまりに遠すぎます。電話もメールもない時代ですから。さらに、これまでのどの時代の首都と比べても、極端に狭すぎるのです。邪馬台国の場所は確定されていませんが、それよりも狭かったでしょう。実は、頼朝は京都が恐かったのです。明るく温暖な伊豆半島で青春時代を過ごした健康的な湘南ボーイは、不衛生で疫病が蔓延した京都を恐れて鎌倉に引き籠もったのです。なぜ、当時の首都、京都が不衛生だったのか、なぜ頼朝が鎌倉を選んだのかを、著者は地形やインフラの観点から説明し、独自の説を展開しています。現在の京都とは全く違うスラム街のような京都が目に浮かびます。著者の説得力のある論拠に、目から鱗が落ちる思いがしました。
 信長も比叡山の地形が恐かったのです。元寇は台風で失敗したのではなく、日本の地質と風土に敗北したのです。著者の説が全て正しい訳ではありませんが、こんな物の考え方があったのかということに興奮します。
 本書には続編として、「文明・文化編」と「環境・民族編」の2冊があります。これらも本当に面白い!


こちらも入荷できたらすぐにお知らせしますので,ぜひ読んでみてくださいね。

 N